モンゴル研究会
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会報『ツェツェック ノーリン ドゴイラン ЦЭЦЭГ НУУРЫН ДУГУЙЛАН』№2
会報『ツェツェックノーリンドゴイラン』第2号では榊正明さんの文章をお届けします。
榊さんは30年近く、国際交流団体、日本ユーラシア協会(1956年の日ソ国交回復の翌年、日ソ協会として1957年に創立。1992年に、日本ユーラシア協会に改称)でお仕事をされています。
榊さんによりますと、「日本ユーラシア協会は創立以来今日まで、ロシアを始めとするユーラシア諸国民との相互理解・文化交流・友好親善のための各種の取り組みを行ってきましたが、日ロ間の領土問題の解決を含む平和条約締結促進の課題も大切な取り組みの一つとして、協会内に『日ロ平和条約特別委員会』を設置、民間の団体の立場からその促進のための運動を進めています」とのこと、榊さんは現在、この日ロ平和条約特別委員会の委員長を務め、日本ユーラシア協会機関紙『日本とユーラシア』の今年の2月号に、同委員会名で"アピール"を発表されました。
下記投稿はこの"アピール"で、5月7日、プーチン氏のロシア連邦大統領のへ就任日に戴きました。「多くの皆さんが、この日ロ間の懸案の問題にも関心を深めてくださるよう期待しています」という榊さんからのメッセージです。
日ロ平和条約の締結を願って わが協会ができること、なすべきこと
今年は、戦後67年。そして、日ロ間の平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を日本へ「引き渡す」ことを取り決めた日ソ共同宣言から56年になります。にもかかわらず、日ロ平和条約は依然として未締結であり、また、近い将来にそれが締結されるという確たる見通しも立っていません。まことに残念というほかありません。もちろん、この半世紀を優に超す長い歳月、両国政府が無為に過ごしてきたわけではなく、それぞれの時代の双方の政権が両国間のこの重要な懸案の解決をめざし、あれこれの努力をしてきたことは事実です。また、日本では、私たちの協会を含め、民間のレベルでの、あるいは、政府と連携した、様々な立場や考え方にもとづく取り組みも行われてきました。
協会が今年5月に開催したシンポジウム「日ロ平和条約の早期締結を! 事態打開の道筋を探る」も、そのような取り組みの一つでした。このシンポジウムや『日本とユーラシア』紙上での諸論考、協会の各地組織で開催されてきた学習会・討論会などを通して浮き彫りになってきたのは、日本政府の対ロ交渉姿勢の抜本的なリセット、即ち、「4島返還論」からの脱却の必要性と日ソ共同宣言を問題解決の基本に据えることの重要性、領土問題を解決しての平和条約締結という根本と個別の必要な諸協定との関係、そして、問題の解決にあたっての日ロ双方の冷静で理性的な姿勢の重要性などです。また、ソ連による千島列島の占領・領有や、サンフランシスコ平和条約での日本の千島列島の放棄という歴史的な問題点も重視しなければなりません。
翻って、この日ロ間の懸案が未解決であるのは、なぜなのでしょうか。別の言い方をすれば、将来この問題が解決されるためには、どのような要素が必要なのでしょうか。第一に、両国政府の、さらに突き詰めて言えば、両国首脳の信頼関係の確立と、この問題の解決に向けての熱意と決意です。第二に、両国民の相手国・国民に対する好感度の高まりでしょう。そして、第三に、これがまことに難しいことなのですが、「双方が受け入れることのできる条件」に適う知恵を出し合うことです。なお、第一と第二の要素は相互に作用しあうなど、これらの三つの要素は、互いに微妙に影響し合うことがらでもありますが、そうであればこそ、それぞれの要素が独自に追求・探求されることが重要です。
さて、問題解決のための必要な環境を創り出してゆく上で、私たちの協会ができること、したがって、なすべきことは、どのようなことでしょうか。それは、何よりもまず、相手国・国民に対する理解を深め、平和と友好の精神で生起する諸問題の解決を図ろうという国民感情の醸成に努めることです。そして、このことは、私たちの協会が創立時から今日まで営々と取り組んできたことがらに他なりません。言うまでもなく、国家間の交渉の当事者は政府ですが、このような努力の成果は、政治指導者の判断にも肯定的な影響を与えるでしょう。事の成否は、そのような相互作用を含む政治的・社会的環境の好転の下、未来志向の解決策を練り上げることができるかどうかにかかっています。私たちは、この解決策の探求にも積極的に加わりましょう。
日ロ平和条約特別委員会(文責 榊 正明)
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